1997年9月アーカイブ

「かおり風景」第12回掲載/平成9年

 某大手広告会社のトレンド情報が「香りの時代がやってくる」という切り口で一時話題になったことがある。つい最近のように思っていたのが、かれこれ十年、いやそれ以上になるかもしれない。その後、香りと嗅覚の関係は「残された感覚」とか「忘れられていた感性」などと称されたこともある。なるほど、実際に様々な局面で香りに関することが話題に取り上げられ、一般の社会生活にも従来にはなかった形で彩り豊かな香りがとけ込んできたようにみえる。いままで余り明らかではなかった嗅覚と匂いの関係についてもいろいろと解明されるようになり、一部の専門家だけにしか注目されていなかった「匂い」の持つ精神的・医学的効用などに関しても研究が進んでいる。めまぐるしい技術革新が続き、成熟した文明社会の果実を豊富に享受できる私たちの日常で、本当に「香り」は時代の申し子なのだろうか。

 「国民一億総白痴化」という言葉が叫ばれたことがある。テレビという文明の利器に汚染されていくわが国の社会状況に対する警鐘だった。今やそのテレビも一人一台のインテリア感覚で普及し、多チャンネル化の時代を迎えようとしている。マルチメディア社会の到来で、テレビも単なる一方通行の受像器ではなく、双方向性を持った画期的なコミュニケーションツールとして生まれ変わろうとしているではないか。

 圧倒的な情報量に押し流されかねない毎日。私たちが「心の時代」とか「人間教育」等を真に求めているのなら、私たち自身の五感というものを、今こそもう一度よく熟考し認識する必要があるのではないだろうか。


 私の専門分野の「お香の話」を聞いていただくとき、いつも取り上げる話題に「枕草子」の一節がある。「こころときめきするもの……よきたきものたきてひとりふしたる……」清少納言が一人の女性として心に思うことどもを書き綴った随筆の中で、彼女が心ときめかす物の一つに取り上げたたきものは「薫物」であって、誰かの手によって配合・調整し練り上げられた古典的なお香のことをいう。 独り静かに横になって焚いてみると心がときめくほどのよき薫物とは、いかなるものなのか。どれほどの高級なものを意味するのだろうか。

 薫物を作るにはいくつかの条件がある。先ず、貴重な香料を何種類も手元に集めること。沈香や白檀などの香木、動物性香料として有名なムスクやアンバーグリス、シナモン・クローブやアニスなど様々な植物性香料。いずれをとっても我が日本には産出しない天産品ばかりだ。 遣唐使などの交流も途絶えた平安時代中期、これらの香料を手元に扱える人は、貴族社会にあっても恵まれた環境にいる少数の人々だけだったに違いない。そしてもう一つの条件は、それらの配合という教養を身に付けていること。これはまさに現代で言うおふくろの味のようなことで、生まれ落ちた縁と自らが育まれた環境以外には自分自身の身に付けることのできない、特撰の教養だったのだ。源氏物語にも詳述されているが、たとえ夫婦の間であっても、何故あの人があの様な調香のレシピーを知っているのか?などと言うことが一人一人の人間性や社会性を語る上でとても大切だったようだ。そしてその上に必要とする美意識。センスと呼ぶのもよいかもしれない。でも、現代的な私たちの単なる感覚的な好みのようなものでは決して終わらない。梅のおもしろさを語れなければ春を語ることができないと言うように、好き嫌いの価値観を越えた高い教養レベルを要求していたのだ。 

 このような環境にあって、心ときめきするほどのよきたきもの。この「よき」という言葉の背景に、特定の人の存在をきっちり意識していることを是非理解してほしい。 「あの人が作って届けてくれた......」あるいは「私が作ってあの人に届けようとしている......」など、絶対的な価値観がここに働いていることをもう一度考えてほしいのだ。相対的な比較から生まれる「よい」という現代的な言葉ではなく、たきものという香りを配合し調整することの中に想いや願いを織り込むという絶対的なかけがえのなさが含まれていると言うことなのだ。

 香り(匂い)という存在が、一つのメディアだということに気付いていただけただろうか。嗜好の世界には留まらずに、何らかの情報を伝達する手段の一つなのだということは、千年もの昔に使いこなされていたのだ。にも関わらず、今、改めて呼び起こさなければならないほど、忘れ去られていたのではないだろうか。何故なのか……。この理由を認識することが、これからの時代を考えるのに、とても重要な意味を持つように思えてならないのだ。

 五感と呼ばれる情報収集手段の中で、視覚から得る情報が、その量的・質的な意味において、また、具体性・残存性において、他の感覚に圧倒的に勝っていることは、誰もに理解していただけることと思う。写 真や映像メディアが現在のように発達し、コンピューターによって画像処理が自由自在にコントロールできるような時代、私たちが余程意識しないと、視覚から収集する情報の信憑性と、人間として視覚情報に依存すべき適正な本来の量 というものが、大きくバランスを崩しているのではないだろうか。 聴覚や味覚・触覚と共に、嗅覚の持つ意味が、トレンドとしてもてはやされていたこの十年ほどの表面的なものではなく、人間性にとっての本質的な意味という視点でいよいよ見直されるときが来たと感じている。「心の時代」という言葉に寄せる期待。その本当に意図するところは、原始的な人間性への回帰を自覚し、このような五感のバランスの再構築という事にあるのではないだろうか。文明と文化・ハイテックとハイタッチの攻めぎ合いがいよいよ始まるのである。

 香り(匂い)もメディアだったのだ!!

※発表年代順

筆者
畑 正高(香老舗 松栄堂 社長)

千年の都に生まれ育ち、薫香という伝統文化を生業にして、日頃考えることや学んだことを折に触れ書きつづっています。この国に暮らすことの素晴らしさ、世界の中に生かされていることのありがたさ…お気付きのことがありましたら、お聞かせください。