1992年9月アーカイブ

常夏の街で

| コメント(0) | トラックバック(0)
「かおり風景」第7回掲載/平成4年

 無意識のうちに木陰を求めて歩いてしまう。常夏の日差しの中、シンガポールを散策するゆとりに恵まれた。久しぶりだった。

 地図を眺めながら、エンプレスホールに気持ちが惹かれた。すばらしい眺めの58階から、豊かな緑の中にその重厚な建物が際だっている。小さく見える看板の字が、「香」に見えた。まさかと思いながら、汗をにじませて歩いてみる。英国人が初めて上陸したという、歴史的な場所に残るエンプレスホールでは、「唐」と題して、シルクロードの展覧会を催していた。

 多くの三彩の焼物や、あの正倉院で見るペルシャのガラス碗、ふくよかな顔だちが特長的な女性像など、代表的な文物の中に2つの発見があった。「和同開珎」あの日本史で学んだ日本の銀貨を初めて見た。西安の都で発掘されたという。外国の街の慎ましやかな博物館でそれに出会えたことがとても嬉しかった。今ひとつは、「鏤空銀熏球」と名付けられた銀製の鞠香炉。円球の中にジャイロスコープを仕組んだ香炉は、日本ではやはり正倉院のものが有名で、古来それに学んでいくつも作られてきた。中国で出土したこの唐草文の瀟洒な薫炉は、正倉院の御物より二周りほども小さく、10cm程の鎖でつるされていた。またひとつ歴史の扉を押し開けたような熱いものを感じた。

 次に目指す国立博物館の建物が街路樹の向こうに見えた。その壁には日の丸が見える。不思議に思いながら歩み寄るとその日の丸に有刺鉄線が張られていた。気分を害しながらポスターを読むと、日本軍によるシンガポール陥落から丁度50周年の記念展を催していた。日本では見られないような残虐な写真や、当時の日本人社会の様子など、偶然とは片付けられないほどインパクトの強い展示物が所せましと展示されていた。中国系や、イギリス系の人々と共に一つづつ見ていると、複雑な思いに駆られてしまう。このような社会を人々に強いた時代の流れとは一体何だったのか。どうしたら繰り返さずに済むのか。一人いらだちを感じてしまった。

 それにしても久しぶりに訪れたシンガポールの街は、すばらしく生まれ変わっていた。超近代的な街と、壁だけを残して改築中の古い町並みとが、短時間に歩いた私の目に至る所で飛び込んでくる。有名なラッフルズホテルなどその典型だけれど、出来上がってしまったものを見ても余り感激はない。オータニホテルから河口のマーライオンまで、丁度今、大変な工事の最中だった。日本で言うウオーターフロントそのもので、この歴史的なシンガポール草創期の商人街が、今後どのように再生されるのか、ぜひ次回の訪問を楽しみにしたい。アラブ街などもその再開発が決まっているという。この地域も町並み保存を決定していると聞いた。今、その将来像が見えないために議論百出に苦しむ京都の一市民として、この音を立てて保存と開発を進める姿に、思わず見とれてしまった。

 東西に走る地下鉄は大変わかりやすく、乗り換えの連絡や駅の作りなども、利用者の立場にたって完璧に近いソフトが駆使されている。煙草はもちろん、ゴミや唾などを路上に捨てることが厳しく規制されていたり、時間帯によって中心部への車の乗り入れを制限していることはよく知られている。煙草もアメリカで言う嫌煙運動などとは全くスタンスが違うのだ。この小国においては、煙草を吸うことは個人の自由であって、誰も嫌な顔をしない。その一方で、吸う人に対してある一定の配慮を要求している。吸いがらは確実に灰皿へ処理しなければいけないし、また、空調の効いたレストランなどでは完全に遠慮する意味から禁煙になっている。しかし、公共の至る所に大きな灰皿が完備しているし、またほとんどのレストランの外には灰皿があり、ちょっと立って一服と言った感じでそんなに苦にならない。

 立派な空港では、降機してからロビーへ出るまで20分を目標にしていると聞いた。その到着ロビーに免税店がある。帰国者がそこで免税品を買うことができるのだ。同じお金を使うのなら帰ってからという意味らしいが、ここでは煙草は売っていない。「基本的には不必要なもの」との認識が働いている。とにかくこの国には、全てに関してはっきりとしたポリシーがあり、またそれを誰もが理解しやすいように説明されているのだ。真剣に私達が将来を考えるのなら、この小国を学び実践することは日本の街でも可能だと思う。

 今回の訪問で、もう一つ体験したものがある。ドリアンだ。以前、バンコクで食べたことがあったけれど、その時は余り感激はなかった。シンガポールで食べたドリアンケーキは、本当に臭かった。一口で、あとは食べられなかった。ドリアンもマレーシアのものが本当に臭いとのこと、この「果物の王」も、ぜひ次回は本腰を入れて挑戦してみたい。

 常夏の国への思いは、次々と募る。

※発表年代順

筆者
畑 正高(香老舗 松栄堂 社長)

千年の都に生まれ育ち、薫香という伝統文化を生業にして、日頃考えることや学んだことを折に触れ書きつづっています。この国に暮らすことの素晴らしさ、世界の中に生かされていることのありがたさ…お気付きのことがありましたら、お聞かせください。