香・大賞 kaori taisho

第30回「香・大賞」

銀賞

『 雨上がりに 』
亀井 和代(かめい かずよ) 63歳 主婦 東京都

 夏の朝、静かに母が逝ってしまった。
 心のおさめどころを見つけられないまま、ぼんやりと家事をこなしている。
 朝のゴミ出しを終え、家に入りがてら、玄関脇のクチナシに目をやると、やっぱり!
 久々の雨に洗われて光る葉に、綺麗な緑色の粒が見え隠れしている。我が家のこの木を産卵場所にしているのはオオスカシバのお母さん。ブーンとやってきては、ホバリングしながら器用に枝のあちこちに卵を産み付ける。
 育児書片手にぎこちなく子育てをした身としては、瑞々しい新芽の辺りを育児場所に選ぶ知恵と、本能と片付けるには勿体ないような親心に脱帽する。
 とは言え、やがては新芽のみならず、せっかくついた蕾までも食べつくすのは目に見えている。結局、見つけるたびに「ごめんね」と謝りながら卵を回収することとなる。
 毎年繰り返されるこの小さな心の葛藤は、母とお茶を飲むときに何度か話題になった。
「半分残しといたったらええやん。虫かて、おおきに言うて遠慮してくれるんちゃう?」
「この前そうしたけど、全部食べられたよ」
「あかんかったか……ま、そうやろね」
「なんや、ええ加減やなぁ」
 母を東京に呼び寄せて16年、こんな他愛のない会話を重ねながら共に暮らせたことの幸せを、今つくづく思う。
 今朝の私の殺生にもきっと何か突っ込みの言葉を聞けたはず、と目の前の葉がじわっとぼやけてくる。母が好んだ一重咲きのクチナシ。花の時期はその香りを、実がなればお節のきんとんの色付けに、そのつど二人の会話を繋いでくれた。もう二度と訪れることのないそれらの時間を思うと、心が折れてしまいそうだ。
「いつまでそんな風なん? しっかりしいや」
そんな言葉を聞きたくて遺影にお茶をあげてみたが、返事はない。ま、そうやろね。