香・大賞 kaori taisho

第32回「香・大賞」

金賞

『 税込み千円以内 』
滝田 千恵(たきた ちえ)52歳 主婦 福島県

 ラベンダー、ローズ、ジャスミン、ヴァーベナ、ゆず、時にはココナッツ。私のベッドルームは夜ごとに違うかおりが漂い、そして満たされる。わずか、5分程度の静かなひとときが私のココロとカラダを癒してくれる。
 私は一日の終わりに、選んだハンドクリームを手に絞り出し、伸ばす。手のひらへ、手の甲へ。そして、左右それぞれの5本の指先へ。少し冷たく硬かったクリームが、ほのかに温かさと滑らかさを帯び、手肌へと馴染んでいく。そうして、それと同時に私の心も緩やかに溶けていく。
 かつて、照れながらぎこちなく手と手を繋いだ、夫との結婚生活は25年を数える。私の手は繋ぐことより、夫の肩や足腰を慈しみを持って、時には「コンチクショウ」と、少しばかりの憎しみを持って、揉みほぐす事に使われている。繋いだ私の手を、少し湿った手で握りしめ、決して離そうとはしなかった子供達も成人し、あの柔らかい小さな手はもう存在しない。
 それでも……。洗濯をする。掃除する。ごみを出す。野菜を洗い刻み、料理をする。衣服をたたみ、食器を洗う。私の手は、今日も家族のためにめまぐるしく動き、働いた。
 結婚する前、金融機関で働いていた私は、手指を顧客に「白魚のような」と形容され褒められたものだった。それが今ではまるで煮干しのように乾いてささくれ、決して嬉しくないシミも目立つようになってしまった。俯瞰して眺めるとかなり悲惨な現実が存在するのだ。それでも私は、この手が愛しい。今日の家族の無事に感謝して、明日も明後日も変わることなく平穏であることを祈りながら手と手を合わせる一日の終わり。ささやかなご褒美のハンドクリームの香り。一つ税込み千円以内の贅沢はどんなに高価な香水よりも私の心を満たしてくれるのだ。