香・大賞 kaori taisho

第32回「香・大賞」

佳作

『 肉と息 』
馬場 広大(ばば こうだい) 23歳 アルバイト 鹿児島県

 学校の周辺には、鼻がしびれそうなほど、きついにおいがただよっている。ガス、機械油、廃棄物。海沿いの工業地域で生まれた灰色の空気は、潮風と混ざり、濁りに変わる。
 陸上部の僕はその濁りの中を走った。とうに慣れている。むしろ心地よい。喉はひりつき、汗は蒸発し、湿った筋肉は引き締まる。吐き出す息と火照る体は熱っぽくにおう。顔の真ん中だけではない。全身に嗅覚をそなえ、また全身から香りを立ちのぼらせ、外の世界にあらがっていたのだ。
 3年生の秋、僕は走るのをやめ、懸命な勉強のすえ進学したが、都会の大学生活に疲れ、心身ともに弱ってしまい、地元へ帰ることになった。
 何もしない日々を過ごした。体の内と外が干からびていく。なんとなく起きて食べて寝る。本能だけで繰り返す呼吸に、高校時代の熱い肌ざわりはない。あのころの僕は、息を切らしながら、ひたすら皮膚と粘膜を焦がしていたのだから。
 11月の初め、あらゆる感覚が麻痺しかけたころ、母の知り合いに紹介され、近所の食肉加工の工房でアルバイトを始めた。肉を運び、切り、焼き、袋に詰める。楽しいわけではない。もらえる給料も最低賃金ちょうどだ。
 しかし、工房内の緊迫した濁りに負けまいとせわしなく動くとき、僕は鋭さを取り戻す。水色のゴム手袋越しの、冷たく静かな肉の感触。よみがえれ。みずからを削って淀みの中へ駆け出す泥臭さよ、戻ってこい。
「たまった脂を捨てるだけだから」
 掃除を頼まれた、肉を焼くための鉄の台は、黒く粘り気のある脂で満ちている。ちりとりを突っ込む。喉をあぶり、汗を奪い、次の一歩に絡みつく、もう使えないものの香りが広がり出す。考えたらだめだ。何度も手を返し、脂といっしょに、沈んだ肉の欠片をすくいあげる。僕は感じる。生きている。僕は今、息をしている。