香・大賞 kaori taisho

第34回「香・大賞」

佳作

『 散歩道(さんぽみち)の記憶 』
溝口 純子(みぞぐち じゅんこ) 34歳 主婦 広島県

 3歳の夏の終わり。病気の姉の長期入院が決まり、私は遠方の祖母の家に預けられた。
 夕方になると、祖母はいつも私を連れて散歩に出掛けた。家の隣は広大な畑が広がっており、そのほとんどで白ネギを生産していた。畑の中の道を歩いていると、いつもツンとした白ネギの匂いに包まれた。
 道中、祖母は色々なことを教えてくれた。白ネギにはねぎ坊主という花が咲くこと、道端に生えている数珠玉でお手玉が作れること、飛んでいるコウモリと鳥の見分け方。他にも、東風が吹けば家の東側にある養豚場の匂いが流れてきて、逆に西風が吹けば海が近いため潮の匂いが流れてくること。畑の中で鼻をひくつかせ、白ネギの匂いの中に何の匂いが混ざっているかを考えて「今日は海の匂いがするから西風!」「今日はブタさん臭いから東風!」と風向きを当てながら散歩をしていた。
 畑の中を200メートルほど進むと、小さな神社があった。祖母は毎回手を合わせて「お姉ちゃんの病気が良くなりますように」とお参りをしていた。
 散歩の帰り道は「お姉ちゃん何してるかな」「今度いつ会えるかな」と姉の話をしながら少し寂しい気持ちになったのを覚えている。
 その後3ヶ月ほどの入院を経て、姉は無事に退院することができた。大好きな姉と母が戻ってきたと大喜びしたが、同時に祖母と離れるのが寂しく悲しかったことを覚えている。
 先日、5歳の娘を連れて祖母宅へ遊びに行った時に、私は娘とかつての散歩コースを歩いてみた。
「このつーんとした匂い、何の匂い?」
と娘が聞いてきた。
「白ネギの匂いだよ 」
と私は答えた。
 鼻から息を吸い込むと、白ネギの匂いの中に潮の匂いがした。今日は西風だな、と思い、懐かしさが胸にじんわりと広がった。
 白ネギ畑の中に、かつての私と祖母が見えた気がした。