香・大賞 kaori taisho

第33回「香・大賞」

佳作

『 北京の茶 』
西村 嘉得(にしむら よしえ) 46歳 主婦 宮城県

 北京で花茶といえば茉莉花茶(まりはなちゃ)のことである。緑茶にジャスミンの花で香りをつけたフレーバーティで、主に北方地方で好まれる。
 瑠璃廠(リュウリチャン)は北京の有名な骨董や文房具の店が並ぶ通りで、その路地裏に簡素な茶館があった。ここでは「来杯茶(お茶を一杯)」と注文すれば蓋碗(がいわん)という蓋つき碗で花茶が出てくる。茶葉に熱い湯が並々と注がれ無造作に置かれると茶客はすぐさま茶碗を取り上げて、まだ浮かんでいる茶葉にふうふうと息を吹きかけたり蓋でよけて早速飲み始める。その後はヤカンを持って廻っているウェイターに何度も湯をさしてもらいながら延々と飲み続ける。
 みようみまねで試してみたものの、口に入ってくる茶葉に悪戦苦闘、味や香りを愉しむ余裕などない。しかし、壁に反響する賑やかな茶客の声、けたたましく触れ合う茶碗の音、容赦なく吹き込む乾いた風、そんな茶館に身を沈めて、幾度も茶の時間を過ごすうちに、不思議とゆったりとした居心地の良さを感じるようになった。
 蓋を取った瞬間、湯の中にジャスミンの爽やかな香りがかすかに芽生える。それが幕開けだ。茶葉がじゅうぶん開くと茶の苦味とジャスミンの華やかさ、さらに無骨な強さを持った芳香が一気に際立ち最高潮を迎える。そしていつしか茶は再び湯に還りゆこうとする。わずかな香りを手繰り寄せるも、最後にはあきらめて茶の時間の終幕とする。
 中国の茶は地域や場面によって、種類や道具、飲み方が多種多様だが、茶葉に湯を注ぎ足しつつ、あるいは何煎も淹れて飲むのが常である。美味の瞬間を点として愛おしむ日本の茶とは異なる。まるで緩やかな曲線を描く時間軸の上に乗っているかのような。
 そんなことを隣で話に興じている茶客たちに尋ねても「ただの時間つぶしさ」「喉が渇くからだよ」と笑い飛ばされるに違いない。
 花茶は香片(シャンピェン)とも称される。その香りの欠片はときに淡くときに濃く移ろいながら時を乗せ、記憶の中に悠久の線を描いている。