香・大賞 kaori taisho

第32回「香・大賞」

佳作

『 11月の桜 』
佐野 由美子(さの ゆみこ) 47歳 保育士 三重県

 11月3日は母の命日。墓参りには必ず、桜の香りの線香を持っていく。
 入院して、たった一ヶ月でこの世を去った母。すでに末期に入っていた肺ガンは、母の呼吸を苦しくさせていた。
「なんか体おかしいわ。――今度の桜の花、見れるやろか」
「そんなん見れるに決まっとるやんか!」
母の不安を、私は強い口調で押さえこんだ。
 怖かったから。母が死に向かっていることも。そのことを認めることも。もしかしたら母が亡くなることよりも、私は自分のことが心配だったのかもしれない。母がいなくなったら私はどうすればいいのだろう。父と二人、どうやって生きていけばいいのだろう。そんな自分の不安と闘うのに精一杯で……。母の気持ちに寄り添う余裕は、とてもなかった。――もう23年も前のことだ。
 あれから年月が経ち、様々な出来事を乗り越え、私も少しは大人になった。出来ることならもう一度、あの母との最後の一ヶ月をやり直したいと思う。今の私ならば、もう少し優しく穏やかな看取りが出来るだろう。
「桜の花、見れるやろか?」
と問うた母に
「きっと見れるよ」
と笑顔で嘘をつきたい。その後すぐに意識を保てなくなった母に、せめて桜のお香を焚いて安らぎを与えたい。仕事に逃げずに〝大丈夫。怖くないよ。そばにいるからね〞と、ずっと手を握っていたい。泣いたり不安がったりするのは後からで充分だったのに。一緒に過ごせる時間は、あまりに短かったのに――。
「――ごめんね」
お墓に語り掛けると、母の苦笑が見える気がする。うすい青空に線香がふわりと溶けていく。そっと瞳を閉じると、永遠のような静けさの中にほんのりと桜の香り。母と楽しむ目には見えない11月の桜は、満開で美しく。私の心を少し軽くしてくれる。