香・大賞 kaori taisho

第32回「香・大賞」

佳作

『 牛のメシに寝転んだ 』
光嶋 次男(こうしま つぎお) 75歳 無職 大阪府

 「ウワーッ雨が来るぞ! 西の空見てみろや早いとこ干草入れにゃおえんぞ!」
 お父が大声で喚いた。昼寝の爺ちゃんもヨタヨタしながら出てくる。家族総出で干草を小山のように四つも五つも庭に積み上げる。上からムシロを何枚も被せて、夕立が抜けるまでの、ほんの一時を待つ昼下がり。
「もう一日干さにゃいけんかなあ……」
 お父が恨めしそうに雨上りの空を見上げる。8月になると、何故か夕立が増える。
「ばあちゃん今日も虹が出とるで……」
「急な夕立にゃ干草にゃワヤじゃ、せーでも虹は毎日見ても奇麗なもんじゃのう」
 刈りたての草から天日で三日干すと干草に変わる。あの青臭い匂いから乾いて芳しくなる。まさに匂いから香りだろう。爽やかで芳ばしい干草の山に、寝転ぶのが大好きだった。
「牛のメシに転ぶな! このアンゴウだま!」
 間髪入れずお父の怒声と落雷が降ってくる。拳固もタン瘤も悪ガキのころの痛い想い出。
 干草は冬場の牛の飼料。藁より旨く栄養満点。牛は頭をふって喜んで喰う。干草を考えついた先人の知恵に今さらながら感心する。
 夏は朝霧が谷あいに立ち込んで、茅葺(かやぶき)からは朝餉(あさげ)の仕度の紫煙が立ち上る。四囲を山に包まれた貧農集落の風景があった。夏休みは小学校4〜5年でも牛の尻を叩いて畔(あぜ)草刈りの、お父を迎えに行く。畔草は畔土の匂いも混ざり、これはこれでなんとも言えない夏草の匂いがする。牛の背にテンコ盛りに刈り草を背負わせて帰る。庭から道まで畔草を広げて干す。ガキのころの夏休みの日課であった。
 70年近く昔の話だ。今、地道はアスファルト茅葺屋根は消え、棚田は荒れ果て牛の声など既に無い。谷間が割れるほどに騒いでいたガキ等はどこに行ったの? なんで? 自問するも故郷を後にした責任の一端は己にもある。
 あの干草の芳ばしい香りは語り草になった。