香・大賞 kaori taisho

第34回「香・大賞」

佳作

『 へしこと昆布煮(こぶに) 』
徳地 昭治(とくち しょうじ) 77歳 京都府

 私の住んだ町屋は軒を接していて、世話焼きと呼ばれる人種が多かった。私の母はその典型で、大きな鍋でおかずを調理すると、それを隣近所に配りまくる。好きも嫌いもない、鍋ごと持ち廻ってその家の皿に盛りつけるのだ。終戦後しばらくは皆が等しく貧しく、だけど平和で平等だった頃。
 この日配ったのは、昆布にじゃこと山椒の実を混ぜて醤油と砂糖でひたすら煮詰めた「昆布煮」。昆布とじゃこは母の故郷からの招来もの、山椒の実は近所の空き地から私に採らせた。それを玄関前に持ち出した七輪で2日がかり煮しめる。あたり一面に広がった香ばしい匂いが鼻につく頃「美味しく炊けたわ」、母の納得とともに昆布煮の出来上がり。
 この頃小学校では、冬になるとダルマ型のストーブが暖をつくった。登校すると皆は、そのストーブの蓋の部分に張り出された網籠に持参の弁当箱を置く。昼メシ時に熱々のごはんやおかずが食べられる工夫だった。
 このストーブ弁当の難点は、温める弁当から匂いが漏れること。この日は猛烈な匂いが教室に充満し、同じ匂いに3日ほどは悩まされた。匂いの発生源は正夫君の弁当と突き止められた。おとなしい正夫君の麦飯弁当は、いつも「へしこ」を1匹、どんっと乗せただけのシンプルなもの。故郷山陰の寒漁村から送られてきたものだろう。この糠漬けへしこがストーブに温められ異様な匂いを発した。これ以降、正夫君は「へしこ」と呼ばれた。
 このへしこ騒動の後しばらくして、ストーブから香ばしい匂いが漏れ出した。今度はへしこのように強烈な匂いではないが、二つか三つの弁当箱が同じ匂いを発している。
 この匂いが何か? 僕にはすぐに分かった。だが、僕の弁当箱だけならこれほど匂うはずもなく不思議だったが、それもすぐ合点がいった。母が近所に配りまくった昆布煮入り弁当が揃ってストーブに乗ったのだ、と。