香・大賞 kaori taisho

第32回「香・大賞」

佳作

『 父のハンチング 』
星野 透(ほしの とおる) 78歳 無職 埼玉県

 浜松で父の四十九日をすませた日、遺品の整理はとっくにすませていたが、見落としがあるかもしれないと、一週間後に解体する実家の納戸の天袋を覗くと、隅のほうに白っぽいボール箱がポツンとあった。おろして埃を払い蓋を取ってみると、グレー地に赤と黒のチェック柄のハンチングが入っていた。間違いなく父のものだ。父は92で逝ったが、それより5年も前に亡くなっている母から、父は若い時分から洒落者で、とくに帽子にはうるさかったと聞いたおぼえがある。
 箱からハンチングを取り出すと、下に手札型のモノクロ写真が1枚入っていた。どうしてこんなところにと思いながら窓明かりで見ると、新幹線開通前の浜松駅ホームで、今わたしの手にあるハンチングを被った父とわたしとが肩を組んで笑っている姿が映っていた。おそらく母が撮ったのだろう。
 思い出した。大学進学で上京するわたしを駅のホームまで送ってくれた60年前の写真だと。もしかすると父はハンチングを被った自分と息子とのツーショットを記念に残しておきたかったのかもしれない。
 写真はしまっておくとしても、さて、ハンチングはどうしたものかと迷った。
 そこで、69になるわたしに似合わずとも、まあまあ見られる程度ならば、もらっておくことにして被ってみた。サイズはぴったり合う。つぎに洗面所の鏡に映してみた。
 ハッとした。写真の父にそっくりなのだ。なぜか照れたわたしは、気がつくと脱(と)いだハンチングで顔の半分を隠していた。
 一瞬、陽に干した布団のようなにおいとともに、列車の発車間際に
「東京で青春を泣かせるな」
と言った父の声と顔がよみがえってきた。
 古希を迎えた今も、派手を承知で墓参りには必ずこのハンチングを被って行き、父との古いフィルムのにおいを懐かしんでいる。