香・大賞 kaori taisho

第33回「香・大賞」

環境大臣賞

『 阿蘇 春野を焼きて 』
山崎 真流子(やまさき まりこ) 39歳 観光業アルバイト 熊本県

 3月の朝。ああ、よい天気だと油断した。布団をベランダに干しかけたら、一瞬、燃えた山の香りがして、慌てて取り込む。首を巡らせば、風に乗って真っ黒になったススキの煤がひらひらりと流れて来ていた。
 阿蘇の春の風物詩、野焼きである。
 春になると、阿蘇の野には炎が入る。古い草や灌木の芽を焼き、害虫を殺して、牛が草原に入る準備をするのだ。記録によれば少なくとも千年、阿蘇の民は野焼きを行い草原を維持してきた。草を食む牛や馬のためだけでなく、燃料源として、文化の源として、更に現在は観光資源としても、麓で生きる人の生活には草原が欠かせない。
 野を焼くと、熱で生まれた上昇気流に乗って煙が上がり、甘く香ばしい香りが広がる。これが里に届く頃には柔らかくあたたかい匂いになって、反射的に冬が去った喜びに体が解けるほどたまらないのだ。
 そのうち私はこの香りの元に飛び込むことにした。野焼きボランティアへ参加するために研修を受けたのは15年前。それからは春が巡りくるたびに、火消し棒を持って草原を駆けた。ときに煙に巻かれて呼吸困難になりながら、そしてときに12メートルもの高さで立ちはだかる炎の壁を前にして。体中を押し包む熱気と耐えがたい煙たさにはいつも圧倒される。目の前で燃え盛る炎の壁こそが里に漂うあの香りの源だとは、最中は微塵も思い馳せることなどできない。
 このとんでもない重労働を終えて帰る頃、自分の体のすみずみから、あのあたたかい山の香りが漂うのに気付く。服にも髪にも染みついた香ばしい炎の匂いからは、風に乗って里に届くのよりも、濃厚に春を感じられる。自ら春を呼んだ充足感に満たされるのは、野焼きをする者の特権だ。こんな良い香りをお土産に出来るのも、きっとそのひとつだと私は思っている。